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不正がまかり通る社会における教育の難しさ

 教育現場の困難な状況の背景は,教師による犯罪行為が相次いで報道されたり,親の教育力が低下していたりすることだけではない。

 不正がまかり通ってしまっていた(いる)ことが明らかになるたびに,子どもたちは社会はもちろん自分の将来への不安を増幅させていく。

 人は攻撃しやすい相手に向かって攻撃する。

 最も安心して攻撃できる相手は,反撃しない・反撃できないとわかっている相手である。

 ネットなどでの誹謗中傷のようなゴミくずレベルの攻撃から,

 相手の社会的地位を奪いかねない攻撃まで,さまざまな程度の攻撃があるが,

 それが攻撃する側の自分の不正を覆い隠したり,欠点に目を向けさせないようにするためのものではまずい。

 攻撃性が強い人の中には,自分を守るための武器なり正当な理由が乏しいがために,より過激になってしまう
人がいる。

 こういう人を,公正な形で裁くことは,実はそれほど困難なことではない。

 正義感の強い生徒たちを集めて「公開処刑」することもできる。

 ただ,「裁く」ことはなかなか「教育」の現場では行いにくいものである。

 「葬り去る」行動は,「教育」の本質とはかけ離れすぎている。

 問題生徒を規定に従って粛々と退学させていったり,「暴走族」などとひとくくりにして

 バカにしている高校教師の姿は,中学校教師からすると,とてもではないが「教育者」には見えない。 

 教師に中には,本当に自己中心的で他者への攻撃性が強い人間がいるのだが,

 こういう教師をつぶせば教師集団はよくなるかというと,そうもいかないのが

 教育現場の難しいところである。

 報道されている不正や問題は,ごくごく一部にすぎない。

 ある自治体で起こった教師の犯罪行為は,該当の学校が特定されないように,

 最強のブロックがなされているようだ。

 隠せるところは隠せるのである。

 隠れて得をしている人と,公にされて損している人を見比べると,とても複雑な思いをする。

 「社会を変えるためには教育から」という発想では,

 社会も教育も変わらない。

 しかし,「教育を変えるためには社会から」と主張しても,だれもとりあってくれないだろう。

 これが今の社会の問題である。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より