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表面的な部分だけを取り繕うための教育の問題

 道徳の授業は,どうしても表面的なものになりがちである。

 こういう授業を堂々と繰り返し,子どもたちが「自然」に見えているような状況が続くと,やがて何が起きるかを想像できるだろうか。

 「歪み」の蓄積は,「弱い部分」への集中攻撃のようなかたちで現われたりする。

 それが「すぐ」起きるとは限らないところが,教師が油断してしまう最大の理由である。

 「いじめ」へのエネルギーの蓄積が,「道徳の時間」に行われているという研究成果はどこかにないだろうか。

 

 中学校で起きる比較的大きな生徒指導の問題については,その原因や背景,根源的なものが探りきれないものも多いが,小から中へある程度の規模の子どもがまとまって進学する場合は,小学校時代・・・それも低学年までさかのぼれる「根っこ」があることが少なくない。

 「根に持つ」という言葉が本当にしっくりきてしまうような事案を整理していくと,共通点がいくつか見つかる。

 大きなものは,小学校の教師は知らなかったというもの。

 これでは,小から中への情報が伝わらないのは,小学校の教師のせいではない。

 もう一つは,小学校の教師が介入して,「一応,決着した」と勝手に解釈されてしまったもの。

 強烈な遺恨が残されていることに気づけないため,これも小から中への情報が伝わらない。


 
 生徒指導を「形式的なもの」ととらえる教師が多くなったのは,「マニュアル化」「手引き化」のせいだろうか。

 「本に出ている例と同じようなことをしたからよい」と判断してしまう教師がいても,仕方がないのかもしれない。

 「本を読んで勉強した」「偉い人がしたことと同じことをした」という自覚がもてる教師はまだ「まし」かもしれない。

 しかし生徒指導の世界に「絶対」はない。

 こういう「やったつもり」の「モノ真似指導」の問題が表面化するまでには少し時間がかかるからやっかいなのである。

 

 「いじめ」や「問題行動」へのエネルギーを蓄積する教育実践への監視の目を光らせる必要がある。

 これからはやるであろう「モノ真似指導」が最も危険であることを知っておいていただきたい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
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