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教育実践を「市場」にたとえる感覚を生んでいる国立大学

 国立大学が死に瀕しています。

 大学教員のクビを切れない以上,運営交付金のカットの影響はどこに出ているか?

 一方では,「金集め」に奔走する中小企業の経営者のような人間が増える。

 もう一方には,自分が「金儲け」に奔走する金の亡者がいる。

 出張で個人所得を増やす国立大学教員の存在価値は何なのか?

 別に大学の教員でなくてもできることをやってしまっている現状を把握している人間はいないのか?


 国立大学の人間が教育現場や実践を「市場」にたとえてしまうあたりで,もはや

 「公教育」は終わっている。

 国立大学の存在意義は何でしょうか?

 センター試験で高成績がとれる学生を集めて,どのような人材を生み出そうとしているのか?

 
 反発を生んだ文科大臣の例の通知の意図は,まさに文字通りのものだったことが想像できます。


 すぐに撤回してしまうあたり,そっちもいてもいなくても変わらない感じがしましたが・・・。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より