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「どうせ,わからない人は多いだろうな」という話法

 何かを「わからない」=「理解できない」人に対して,「わかる」=「理解できる」状態に変化させるのが,教師の仕事の一つであるはず。

 しかし,「それは教師自身がする仕事ではない」というスタンスになると,

 「わからない人」に教えてあげよう,という意欲もなくなるようである。

 どうしてこの人たち(小学校の教師)は「いじめ」があることに気づけなかったのか,といつも思い知らされるのが,

 中学校の教師たちである。

 何人もの子どもたち,親たちから,さまざまな訴えが届く。

 小学校何年生のときに,こんなことがありました。こんなひどいことをされました。

 影で~は~にこんなことをしていました。~とは絶対に同じクラスになりたくなかった。

 子どもの中学校進学にあたって,多くの学校では,小学校での人間関係を聞き取る「連絡会」を開いているはずである。

 そうした情報をもとにして,クラス編成を行う。

 しかし,「これだけは絶対に欠かせない情報だ」と思われるような内容が,必ずしもきちんと引き継がれない。

 「いじめ」は担任のせいで起こるのだ,というのが小学校での常識なのか?

 だから,多くの小学校の教師は,「いじめ」があったのを隠そうとするのか?


 子どもが担任に「いじめ」を隠す理由は,「担任に言うと,よけいなことをして,状況がさらに悪化するから」「どうせいじめはなくならないから」というのが主なものだが,せめて親と担任のコミュニケーションがとれていれば,情報だけは入るはずである。

 お互いに,「一人も見捨てない」ことに建前上なっているクラスなので,「いじめ」がある=「一人も見捨てない」ことが実現されていない事実を隠さなければならないという事情もあるだろう。

 「いじめ」が顕在化しない理由には,さまざまなものがあるのだ。

 自分自身が「わかろうとする努力」を怠るような人間は,もはや教師ではない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より