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【データから考える教育-6】 公立小中の環境教育

 全国の公立小中学校のうち,太陽光発電設備を設置している学校は,
 
 全体の24.6%にあたる7371校(2015年度)で,

 2009年度の6倍になっている(文科省調査,2015)。

 太陽光発電以外の再生可能エネルギー設備は,

 風力発電610校,

 太陽熱利用144校,

 バイオマス熱利用122校。

 停電時も校内に電気を供給できる機能を備えた学校は,

 44.5%。

 (日本経済新聞2015年12月21日の記事より)

****************

 太陽光パネルは校舎の屋上に設置されているのが一般的であり,

 屋上は基本的に子どもの立ち入りが禁止であることから,

 多くの小中学生は自校にあるパネルを見たことがないのではないか。

 都市部より地方の方が太陽光パネルの設置が進んでいる気がするが,

 自然や土地のない都市部における環境教育の困難さを解消するためのアイデアがほしい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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