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校長は,指導力のない教員たちの文句を言っていればよい

 何だ?このタイトルは?と思われたことでしょう。まさか本気でそんなことを言う気ではないだろうが・・・などと・・・。

 私は,①自分自身の子ども時代(PTA会長をしていた父親から),②教員のころ,③指導主事として学校に訪問したり,教育委員会で電話対応したりしたころ,④教員に戻って,学校に講師としてよばれるようになった今,すべての時期で校長先生から自校の先生方の力不足についての悩みを聞きました。

 「結局それって,校長が自分の指導力不足を証明しているだけでしょ」という厳しい見方もあるでしょう。

 しかし,校長に昇任するためには,それなりの実績が必要なはずです。

 特に,指導力が不足している教員にみっちり指導を行うことができるような人でなければ,校長はつとまらない・・・と昔は考えていました。

 現実は,一人でどうにかできるほど,教員の力量向上は簡単ではありません。

 子どもならまだしも,大人を一人前にさせるのは・・・それも自主的に努力させることは・・・・本当に困難です。

 特に,「力量を伸ばそう」という気のない人,子どもができないことを子どものせいにする人を変えるのは難しい。

 何と,子どもが嫌いな教師までいる。

 「学校が嫌なら辞めろよ」と子どもの方が本気で頼みたくなるような教師がいる。

 そんな教師も,感動的なお話をしてくれる講師を研修で呼ぶと,「やるぞ!」とその場では思ってくれる。

 翌日にはきれいさっぱり何もなかったかのように忘れている・・・。そんなことの繰り返しで・・・・。

 校長にできる唯一のことは,「ウソをつかないこと」。

 がんばっていない教師がいるのに,「うちの先生はみんながんばっている」などと言わないことです。

 文句はどんどん話した方がいい。本人にも。さすがに子どもにはまずいでしょうが,

 子どもたちも中学生くらいなら,自分たちが一番良くわかっている。

 せめて,「いい先生」というウソはつかない。

 ただ,ほんの小さな「優れた教育的言動」があった場合には,それをしっかり認めて評価する。

 文句ばかり言っていれば,そういういい言動を見聞きした人が,教えてくれる場合もある。

 「そんなひどい先生じゃないですよ。この前,子どもにこんな言葉を・・・」

 
 ただひたすら異動させることだけに命をかけている校長もいますが,

 そういう緊急避難的な行動が子どもを守る場合もあります。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より