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「わからない授業を受けさせること=拷問」は,極論ではない

 「声がおかしいから採用試験に合格できないのではないか」

 と後輩の心配をしている教師がいる。

 どうして合格できないのか。言っていることは正しいかもしれないが,

 耳障りな発声がどうしても耐えられない,・・・・のだろうか・・・?


 子どもが聞く耳をもたないのは,言っている内容が

 お小言みたいな話だからというわけではなく,

 ただ声が嫌いだから,という話はきちんと成り立つものである。

 
 しゃがれた大声でわめきちらされては,たまったものではないと

 悩んでいる人もいるだろう。

 大学生くらいだと大人だから,「近くにいたくはない人」というオーラは出さずに我慢できるはずだが,

 高校生や中学生だとそうはいかない。


 やかましい声で,自分の言いたいことを押しつけがましくしゃべる授業は,

 受け取り方によっては「拷問」「苦役」である。

 しかし,どんなにヘンな声でも,

 難しい話にも,きちんと耳を傾けて,理解しようとする努力ができない人間を

 つくるのは簡単である。

 そういう機会を奪えばよいのだから。


 荒れがおさまらない学校では,「話を聞かせること」を放棄している教員が多い。

 子どもがおしゃべりしまくっている姿の方がまともだと捉える神経を,

 国が言い出している資質能力に結びつけるのは無理がある。

 そんなこと,現場に出て1年もすればわかるものだ。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より