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「経験と勘」から「科学とテクノロジー」へ ~農業VS教育~

 日本の農業が変わりつつある。
 
 植物科学や人工知能,IoTの専門家が農業を変えようとしている企業がある。

 データで把握できる気温や湿度などの気象状況,ミネラルやpHなどの土壌の状況などを,農地から離れた生産者がスマホ画面で確認するような時代になっている,

 「緑の革命」のはじめは,品種改良と化学肥料の活用で収量が上がる変化だった。

 しかし,大量の農薬使用によって,土壌中の微生物を殺してしまい,農業ができないくらいの環境悪化を招いてしまった。

 思いの他,革新の遅れた農業だったが,自由化の波が進歩を持ってきてくれたのか。

 農業が国の最重要産業だ,という実感をもちにくい時代にあって,「変わることができる分野」であるという認識も広がっている。

 問題は教育である。

 次期学習指導要領を通して目指そうとしている教育は,本当に「どの学校」でも可能だろうか。

 テレビで「学力王決定戦」などといった番組が放映されているが,

 中身はあいかわらず「ものしり博士」対決である。

 親世代や教師たちが実感できないような「教育のねらい」を実現できる教育は可能だろうか。

 教育の分野で,人工知能やICTは,本当の意味での貢献ができるだろうか。

 せいぜい成績処理くらいにしか役に立たっていないようなコンピュータがごろごろしていないだろうか。

 教育学者は,それぞれ自分の存在意義を示せる何かをもっているはずである。

 教育分野は,農業に後れをとるか,農業の変化の先を行けるか。

 考えてみると,教育の分野はほとんど選挙戦の論点になることはない。

 政治家が教育に関心のない国で,本当の改革ができるだろうか。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より