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望ましくない調査結果は公表されない

 調査というのは,第三者機関が実施してこそ意味がある。

 お金をもらって仕事をする人たちが「第三者機関」である場合は,お金の出所がどこかという点が,重要である。

 教育に関しては,ぜひとも文科省以外の機関が予算をとって・・・・たとえば財務省本体が予算を割いて・・・・調査を実施するべきである。

 次期学習指導要領では,いわゆるアクティブ・ラーニングの実施が重視されるのだろうが,

 アクティブ・ラーニングをやっていません,という学校が,

 たくさんやりました,という学校よりも,学力を高めたという調査結果が得られることで,何を変えることができるだろう。

 35人以上いるクラスの方が,10人程度しかいないクラスよりも学力が向上しやすい,という調査結果が得られることで,何を変えることができるだろうか。

 「学習方法を変えない方が望ましい」という調査結果を私はあまり見たことがない。

 「学習方法を変えた方がよい」という意見に説得力を与える調査結果は見たことがあるが,

 「学習方法を変えた結果,本当に学力が向上した」という証拠は本来示しにくいものである。

 ただ担任が交代しただけで劇的に学力が向上してしまう場合も(その逆も)ある。

 制度をいじることで,学力を高めることは困難である。

 せめて,「こうしたら継続的に学力が向上した」という学校から意見を集約して,それを広めればいいのではないか,とだれでも考えつくことだろうが,

 「学力向上モデル校」の学力が継続的に向上できるわけではない。

 教員が異動するだけで,がらっと変わってしまうことはいくらでもある。

 要は,制度をいじったくらいで学力が向上するのなら,どこかのだれかが勝手にやっている,という話。

 公立学校の,特に高校の教員の多くは,私立学校との格差が拡大することを恐れているだろう。

 センター試験のかわりのテストが変わっても,私立大学の入試が変わらなければ,今のままの方が得だから。

 私立学校としての脅威とは,補助金カットをちらつかせて,文科省が教育内容に介入してくる恐れがあるということ。

 私立学校に子どもを通わせる,一定水準以下の年収の家庭にお金をばらまくという国の政策は,

 私立学校にとってはおいしいようで,実は生命維持装置の電源を握られる恐れがあることを忘れてはならない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より