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悪底部(アクティブ)・ラーニングの金太郎飴

 「アクティブ」とキーボードに打ち込んだつもりが,変換されて出てきた文字は「悪底部」だった。

 教師が授業をしていて,不安に思う対象には2パターンある。

 一つは,「このような楽しい授業で,本当に子どもたちに能力は身につくのだろうか?」というもの。

 もう一つは,「このような(教師や友達の)話を聞いているばかりの授業で,本当に子どもたちに能力は身につくのだろうか?」というもの。

 これらは,教師が授業をしていて,不安ではなく,満足に感じてしまう2パターンでもある。

 「ああ,子どもが乗っていてよかった」

 「ああ,たくさんの子どもが発言できてよかった」

 この2つをとりあえず実現させることができれば,

 「よい授業(学習)ができた」と満足できるレベルが,今の学校現場であろう。

 
 しかし,次期学習指導要領では,子どもに資質・能力を保証するカリキュラムを実践することが求められる。

 どんなに盛り上がった授業でも,扱われた内容,実際の発言の内容によって,

 だいたいの成果は判断でき,

 その後に,個別にまとまった文章を書かせることで,ほぼ学習の成果は評価できることになる。

 
 表面的に「アクティブ」に見えた学習も,場合によっては何の成果も得られないで終わるケースがある。

 こういう学習の場合,「アクティブ」の「アク」は「悪」であり,「ティブ」は「低レベル」を意味すると考えればよい。

 
 繰り返し繰り返し行うことで,たとえば「協働的に学ぶ」姿勢は身につけさせることができる。

 しかし,「協働的に学ぶ」というのは,あくまでも学習の「方法」の話である。

 
 しかも,「協働的」に見えて,実は役割分担が固定化しすぎている「封建的」な協働学習になってしまう場合もある。

 内容が疎かになり,方法も劣化していくとなれば,

 「アクティブ・ラーニング」は史上最悪のキーワードになってしまいかねない。


 「アクティブ・ラーニング」を自分の在学中に経験したことがない大多数の教師たちに,次期学習指導要領の指導は担えるのだろうか。

 アクティブ・ラーニングを特集した,今手元にある雑誌には,気味が悪いほどの「金太郎飴」状態の文章が並んでいる。

 子どもが本当の意味でアクティブになり,しかも能力が高まる学習のテーマが並んでいるだけの教科書(数ページ)ができあがれば,望みも高まるのだが。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
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