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教師にとって,「本を出す」というインセンティブよりも大切なこと

 以前にも書いたことですが,私が教育現場を離れて行政の世界に入ろうとしたきっかけは,

 「副業」があまりにも多くなってしまったことでした。

 公務員は「副業」が法律で禁止されています。

 でもごくわずかですが教員がやっている「副業」があります。

 本の原稿を書くことです。

 1ページ2000円くらいの原稿だと,

 時給にすると場所によっては200円くらいになってしまう仕事もありますが・・・。

 昔は,本の原稿を書くときに,いちいち「兼業届け」を出すことはありませんでした。

 今は,届け出が必要になっています。

 私が指導主事になったばかりのころ,文科省のある教科調査官が本を書きまくって「200万円以上の副収入を得ている」ようなことが週刊誌で話題になり,行政の人間に本の依頼が来なくなるきっかけになりました。

 届け出をして受理されても,もちろん,勤務時間内に原稿を書いてはいけません。

 私の「副業」は,午前1時~4時くらいの仕事になったので,つらいとしか言いようのないものでした。

 文科省の仕事をし,都の仕事をし,区の仕事をして,土日は部活と委員会で時間がつぶれ,

 新婚から3~4年は,休日はほとんど家にいませんでした。

 指導主事になれば,すべてから解放されることに気づいたとき,教育法規の勉強をする動機付けになりました。

 
 今,現場の先生たちの中には(もともとの購買層が多い小学校の先生が多いようですが),「本を出す」というインセンティブに動かされようとしている人たちがいるようです。

 大学に進もうという人は,共著でも一応の実績になりますから,損はないはずです。

 しかし・・・。

 教育という狭い世界の中で,本を書いて,それが本当に人の役に立つ仕事かどうかわからないまま,短い教員生活を終わることに悔いはありませんか?

 だいたい,わずか数十ページの中で,あなたの言いたいことが言い切れますか?

 「教員の経験年数は少ないほどよい」「失敗なら失敗でよい・・・参考になるから」などとたきつけられ,

 1冊書ききれたとして,次の年に読んで,「なんでこんな原稿出したのだろう」と不安になることはないですか?

 出版物は,「取り消し」がききません。

 
 今,若い保護者たちを恫喝するかのような未来予測の本が世の中に出ていますが,

 たった数年後の予測ですらまともに当たらなかったときに,このような本の著者が負うべき責任の重さを想像してみたことがありますか?

 
 あなたは,「本を出すため」というインセンティブがなければ,教育という仕事に向き合えないのですか?

 もっと大切にしなければならないことはないでしょうか?

 教員になったばかりの人にでも書ける内容が,本当に「本」にする価値のあるものなのでしょうか?

 (・・・・「本」にするかどうかを決めるのは出版社なんですよね・・・・)


 なぜ,ネットでいくらでも情報発信できる時代に,紙の「本」なのでしょう?

 なぜ,せっかく教育に関心のある人がわざわざお金を出さないと手に入らないようなものを,公務員である教師がつくる必要があるのですか?
 
 
 「本があるおかげで,今の先生も存在するのではないですか?」と言われてしまうと・・・

 ・・・今は,「はずれ率」のあまりの高さに,憤慨しているだけなのか・・・?


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より