ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「子どもが主役」という言い方 | トップページ | 「サボる」能力の奨励を説く「高校教師失格」教授 »

評価の方針の発表によって,道徳科の問題点が明確に ~ついでに,道徳科の評価の話の前に,国語科の評価が必要

 「特別の教科 道徳」の指導方法・評価等についての報告が公開されているが,

 句点の打ち方や文の構成の仕方がおかしいものが目立つ。

 
 その「概要」に,こんな1文がある。

>(道徳の)評価に当たっては,児童生徒が一年間書きためた感想文をファイルしたり,1回1回の授業の中で全ての児童生徒について評価を意識して変容を見取るのは難しいため,年間35時間の授業という長い期間で見取ったりするなどの工夫が必要。


 もちろん,「児童生徒が書きためた感想文をファイルすること」は難しいことではない。

 文の構造は,Aをしたり,Bをしたりするなどの工夫が必要という内容。

 Bの中に,「1回1回の授業で変容を見取るのは難しいため(にBをする)」という修飾語が入ってしまっている。

 
 ファイルするのは児童生徒が行えばよいから,「工夫」することでもない。

 年間35時間の授業全体を通して評価を行うために,

 児童生徒が書いた1年分の感想文を参考にしよう,というだけの話である。

 国語が苦手な人がまとめた文だろうか。あまり笑えない。 

 そもそも道徳の授業は国語の授業の出来損ないみたいなものが多いが,

 文科省が発表するものがこの程度だから仕方ないか。


 では,語順をかえればそれでよいかというと,そうでもない。

 道徳科の評価の最大の課題が見えてきた。

 道徳科の評価は,あくまでも「道徳科の授業内で」という雰囲気が漂っている。

 
 しかし,道徳的価値の理解を自分自身との関わりの中で深めているかどうかを判断できる多くの場面は,

 日常的な学校生活の中であり,ものによっては,それでも困難である。

 
 35時間あっても,道徳の内容は22個あるから,1度きりの内容については「35時間」で変容が評価できない。


 「特別の教科 道徳」の導入は,これまで学校の教育活動全体を通して実践してきた道徳教育を,

 「道徳科の授業」内に「矮小化」「限定化」「固定化」していく危険性が高い。

 
 道徳の評価から,改めてよくわかった問題点である。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ
 

« 「子どもが主役」という言い方 | トップページ | 「サボる」能力の奨励を説く「高校教師失格」教授 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

言語活動の充実」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「子どもが主役」という言い方 | トップページ | 「サボる」能力の奨励を説く「高校教師失格」教授 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より