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よい授業を続ける教師がしていること

 よい授業をしている教師かどうかを判断する上で,わかりやすいチェック項目があります。

 週刊東洋経済の特集記事『成果を上げるコーチングの鉄則』に示された「コーチングを効果的にするための12か条」を参考に,よい授業をしている教師がどのような質問をしているか,整理してみようと思います。

 ここでは「よい授業」の意味を,生徒の学力(資質・能力)=「知識や技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性」を高めることができている授業ということにします。

 まず,「よい授業」では,生徒の思考がアクティブになるような教師の言葉かけ,質問・発問があります。

>答えを誘導するのではなく,相手が自由に答えられる質問

>相手に自発的に考えさせる機会をつくる質問

>相手の考えの深掘りをしたり,抽象度を上げたりする質問

>ほかの選択肢を引き出すような質問

 これらの質問によって,生徒の方からさまざまな学習課題が提示されるようになり,そのまま追究に入ることが可能になります。

 ただ課題を提示して,すぐに「話し合い」に入るような授業では,生徒は「操り人形」にすぎません。

 ベルトコンベアーに載せられた製品と同じで,つくられている場所は班ごとで別々でも,みんな同じような製品になってしまうおそれがあります。

 「ゆとり教育」までの路線が「個性重視」だったために,その反動として,「画一化の徹底」がなされるようになりました。

 『学び合い』の教室では,一見,楽しそうに課題に取り組んでいるようでも,結局は,「一定水準を満たすまずまずの製品」を効率的に生み出して終わりになります。

 もし,『学び合い』で成果が出るとしたら,子どもたちに上に掲げたような「質問」ができる能力をつけさせることが重要です。

 もっと基本的な「質問」のルール・・・たとえば,

>短いフレーズで,シンプルな質問をする

>1回にいくつも質問せず,1つのことだけ質問する

>5W1Hをうまく使い分ける

>オープンクエスチョンとYES/NO型の質問を使い分ける

 といった習慣を身につけさせることも大切です。


 子ども同士の会話では,普段,子どもの視点では意識しない問いは発せられません。

 「何が何でも理解してもらう」というレベルの動機で『学び合い』を実践すると,

 「何のために理解するのか」という問いを忘れた「学びマシーン」が量産されるだけで終わります。

 
 人に「気づき」を与える問いができるようになるトレーニングを,教師になる前に積んでいけるカリキュラムが教員養成段階で必要になりますが,

 まずは,今の子どもたちに投げかけてあげることです。

 
 ただひたすらに,「理解できない子どもをゼロにしよう」と願うレベルでは,「教育」とは呼べません。

 ましてや,「自分が得をするために」なんていう目的で「他の子に教えよう」という気持ちにさせるのは,「教育」ではないのです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より