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文科省は「誤解を与える文章だった」という言い訳を二度とするな

 国語力の話だけではない。道徳の問題である。


 道徳の評価に関する文科省の文章を読んで,昨年6月に出された通知を思い出した。

 タイトルは「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」。

 ここに,以下のような文がある。

>特に教員養成系学部・大学院,人文社会科学系学部・大学院については,18歳人口の減少や人材需要,教育研究水準の確保,国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し,組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする

 一定の学力があれば,この文を読んで,組織の廃止などに取り組むよう努めるのは,教員養成系だけであって人文社会科学系は含まれない,という文科省流の「正しい読解」ができる人間はいないはずだ。

 さらに,教員養成系学部・大学院は組織の廃止などに取り組め,という趣旨のはずが,

>廃止対象になっているのは教員養成系の学部の中の教員免許取得が義務づけられていないコースだけだ

 というのが「本心」らしい。

 おそらく,「誤解」ではないのは,

 「教員養成」というのは,「社会的要請が高くない分野である」という文科省の見解である。


 ぜひとも,国立大学の教員養成系学部・大学院の出身者が,教育現場で役に立っていないというデータを示してほしい。

 そういうデータがあるのなら,国立大学の教員養成系学部・大学院の廃止には賛成する。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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