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学校に真剣勝負を挑める指導主事になるために

 指導主事1年目は,何かと緊張する場面が多かった。

 「あなたの発言は,教育委員会の発言だと理解されるからね」と言われて,語る言葉が減らない人はいないだろう。

 行政マンというのは,ある意味では気が楽なもので,「法律ではこうです」「答申や通知にはこうあります」という態度でいれば,対立することはあっても,非難されることはない。

 文科省から出されるパワーポイントの資料は,あり得ないほどの文字が詰め込まれていたりして(小中学校の総合学習で学ぶ「パワポによる発表の方法の注意事項」を聞いてもらいたい),そのまま学校に出しても「?」が並ぶだけだから,できるだけ原文をいじらず,誤解を招かないように細心の注意を払って,わかりやすいものにすると,研究熱心な先生たちには喜ばれる。

 教師が受けるような質問を,指導主事が受けることは少ない。

 「なぜ高校でも英語を学ばないといけないのですか」と質問されても,行政マンが話せることは限られている。

 余計な私見を述べると,当該高校の管理職や教員と「見解が異なる」とかいった問題になりかねない。

 本来であれば,高校を受験するときにこういう問題を解いて合格したんですよね。これが解けることが,高校での学習を進めていくための基礎なんですが・・・などと言いたくもなるが,倍率が1.0X倍の試験を通ったところで,それが「選抜」の体をなしていないことは明らかなことである。


 本当に苦しいのは,学習指導要領に示された目標や内容が,実際には達成できないままの子どもがいることで,いくら「習熟度別」「少人数」「授業の工夫」「ICTの活用」・・・と手を打ってみたところで,目に見える成果が出にくいことである。「いじめ」撲滅が困難なことなどと同様に,教育行政の「限界」として,よく指摘される問題である。

 授業の実際を見ていると,教師が「何かを工夫する」以前の段階で,足りないものが目立ってしまう。

 たとえば,「少人数指導」の効果を確かめに行ったのに,「教師の指導力不足」の課題の方が大きいことがわかってしまったときが厄介になる。

 正直なことを報告してしまうと,「少人数」だから,「被害者が少なくてすんでいる」というブラックなだけの話になってしまう。

 「初期設定の問題点」を教師と子どもの関係が何ヶ月も経った段階で指摘しても後の祭りだから,普通の教員と指導主事の関係では,何もふれられずに関係も切れてしまう。

 わざわざもう二度と会わないかもしれない教員に,面と向かって「指導力に課題がありますね」なんて言えない。

 「どうして子どもの目を見て離さないんですか?」

 「最も支援を必要としていた子どもに全く近づかなかったのはなぜですか?」

 「1人の様子を観察して対応するのが精一杯のようですね」

 「同じ場所にしかいないんですね」

 「全く目を合わそうとしない子どもがいるのが気になるんですが・・・」

 「この指導内容は,子どもたちのレベルに合っていますか?」

 「この学習内容の習熟度を,すべての子どもについて把握していますか?」

 なんていちいち聞かないのが普通である。

 指導主事の多くは,最後は学校現場に管理職として出るわけだから,長い目で見ると,本来の意味での「教員」の「指導主事」の関係を築いておいた方がよいはずだが,

 「反感を買われたくない」と思う人の方が大多数だし,

 「余計な反感を買ってくるな」という上司ばかりなのが普通だろう。

 
 私の場合は,「できていることにする話法」で「言いたいことが何であるか」を「わかる人にはわかる」ように伝え,「当該校の管理職の指導のおかげで教員の指導力が向上した」という結果になるように心がけた。

 指導主事の真剣勝負とは,教員と管理職と子どもという,いつも一緒にいる人たちがお互いに成長し合うための触媒になることである。

 教員と指導主事の化学反応ではなく,管理職と教員,教員と子どもとの化学反応を起こさせなければならない。

 
指導主事というのは,校長にとっては脅威の存在である。

 指導主事は人事に口出しできない。しかし,人事を担う人に情報を提供することができる。

 「この校長は,とにかく指導力不足の教員の悪口ばかりを聞かせて,異動させようとしている。この校長には教員の指導力はない」

 
 こんなことを言わないですむように,「できていることにする話法」で校長や副校長を動かせるかどうか。

 「戦いの場」から去って,10年以上が過ぎたが,今,副校長が足りなくて不在のままの中学校があると聞く。

 指導主事の方は,どうなのだろうか。


 どこかの県では,たいへんな教員を指導主事にしてしまったようだ。

 指導主事が~したのではなく,指導主事になった人が教員のときに~した,という正確な報道をお願いしたい。

 学習指導や生活指導の手助けどころの話ではない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より