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アクティブ・ラーニングの説明を大講堂でただ「聴く」だけの滑稽さ

 これからの大学では,もはや「大講堂での講義」などは姿を消すだろう,と言われている。

 しかし,日本人の「大講堂好き」は,そう簡単にはなくならないのではないか。

 「大人数の中の一人」であることが,いかに気楽で,いかにマイペースで思考に浸ることができることか。

 教師に名指しされて,自分の考えを言わなくてすむ環境が,いかに快適か。

 グループで話し合いをして,自分がいかに知識が乏しく,センスに欠けているかがばれてしまうリスクのない環境がいかに大切か。

 「アクティブ・ラーニング」を本気で学びたいなら,そんなところにいてはいけないはずである。

 自分が「アクティブ・ラーニング」をせずに,子どもにだけ「アクティブ・ラーニング」をさせようという発想そのものが,私が思い浮かべられるもののうちで最も子どもに悪影響を与えている教師の「資質・能力」である。

 「資質・能力」は,決して「望ましい」ものばかりではない。

 他に悪影響を及ぼす「資質・能力」も存在する。

 もしどうしても「大講堂での講義」に参加しなければならない場合は,「つぶやきまくる」「ツッコミまくる」のがよいのではないか。

 ただ聴いているだけで満足できるような人は,一生「アクティブ・ラーニング」などできないだろう。

 そうやって学生時代によい成績をとり,公務員試験に合格し,教員になった人には「アクティブ・ラーニング」は縁がない。


 ツイッターでも何でもよいが,そのうち,講師の一言一言について,即時的な評価,共感,反感,反論が寄せられ,常に公開されているような「大講堂での講義」が実現できないだろうか。

 もちろん,欠点もある。

 議論好きではない講師・授業者は,「大衆受け」する題材しかもってこなくなる。

 「はい,よい授業でした。めでたし,めでたし」で終わるような研究会に意味はない。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より