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失敗したときの反応を見たい面接官

 教員研修の中には,理不尽な要求をする保護者への(電話)対応の練習をする場面がある。

 練習だとわかっているし,他の教師たちも見ているので,ここで「その対応はないんじゃないの」というミスを犯す教師はあまりいない。ただ,保護者の立場で対応を観察していると,「この対応じゃやっぱり頼りない先生だと思われてしまうな」とわかってしまうことはある。

 大切なのは,「本番」である。

 オリンピックの試合では,「ミスをしたときの表情」も繰り返しリプレイされてしまう。

 その表情に好感をもたれる選手もいれば,「この人にメダルはふさわしくないな」と反感を買われてしまう選手もいる。


 教員採用試験でも,同じような場面があるだろう。

 採用する側は,できれば「失敗したときの表情や反応」を見たがっている。

 「仮面がはがれて,素になる瞬間」を見逃すまいと,真剣である。


 採用する人たちの中には,採用後にさまざまな問題が発覚してしまう教師をたくさん見ているから,

 「採用したときにはこんなはずではなかった」と思っている。

 では,なぜ「こんなはずではなかった」という気になるのか。

 「採用時に見破れなかった」という後悔である。


 ある女子アナ選考の現場で内定をとった就活生の特徴が紹介されている記事があった。

 内定をとれた人は,特別な才能がなくても,緊張した状態で自然な自分を出せたことが評価されたという。

 「失敗したときの表情が良かった」というのが内定のカギだったという。

 面接試験での「失敗」は,本当は「減点対象」「命とり」のはずである。

 しかし,「失敗」場面でこそ,本当の「資質・能力」が発揮できる,というケースもある。

 
 女子アナと同様,教員にも一定の緊張場面への耐性が必要である。

 「口で何とか誤魔化そう」とする人を排除できる面接であってほしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より