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だれかがストップをかけなければ,日本の高校の教育が崩壊する

 次期学習指導要領の改訂に向けての準備が着々と進められているが,

 「お国」に声かけされて集めさせられている人たちには,もはや異論が出せない状態のようである。

 教育の「大変革」に,現場がついていけないことは目に見えている。

 今まで「変わることがなかった」高校教育に,メスを入れるための改革なのだろうが,

 公立学校で教えた経験のある中学校教師の私の目から見ると,

 土台無理なことを実現させようとしていることがわかる。

 それでも改革を進めるということは,「底辺を切り捨てる」という発想が背後にあるとしか考えられない。

 確かに,今の高校には,「これ,本当に高等教育?」と思えるようなことしかしていない学校がある。

 中学校段階で,「おおむね満足」に達していない生徒たちが進学していく学校なのだから,仕方がない。

 しかし,そういう高校生が理解することはおろか,高校教師ですら授業をすること自体,不可能に近いことを要求する学習指導要領がつくられようとしていることに,かろうじての反論ができるのは現場の校長先生くらいしかいないようだ。

 極端な話,これこれこういう能力が身につくんなら,教科学習などなくてもよい,くらいの大変革を起こそうとしている。

 気の毒なのはたまたまこういうタイミングで文科省に「拉致」されている人たちである。

 「早く大学に逃げれば良かった」と後悔しても遅い。

 「歴史的な憎まれ役」になろうとしている人たちに同情したい気持ちもある。

 しかし,現場教師の経験がある人なら,特に「底辺」を見てきた人たちなら,決定される前に何か言えるはずではないか。

 仲良しこよしの『学び合い』では対応できない課題がどれだけ生まれるか,想像するだけでもおそろしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より