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子どもが先生を好きになるタイミング

 子どもたちの中には,「いたずら」好きがいる。

 「いじめ」が「いたずら」から始まることも多いが,「いたずら」によって子どもたちの関係ができあがる場合もある。

 「いたずら」は,「いたずら」された人が「どのような人間なのか」を明らかにしてくれる。

 テレビの「いたずら」番組は,基本的に「やらせ」だろう。

 「いたずら」を受けた人が,本気で激怒し,番組のディレクターにくってかかっていく場面はさすがに放映できない。

 「いたずら」番組への出演を承諾する側のねらいは,「いたずら」への反応によって,

 自分への「好感度」をアップさせることにある。

 学校でも,「いたずら」を自分自身の「人気の向上」に利用し,あえて「いたずら」される側に立つことを嫌がらない子どもがいるが,この場合,哀しいのは,結局「人気の向上」には結びつかず,自己嫌悪に陥るとともに,「いたずら」した子どもへの復讐心を生んでしまうようなケースである。


 
 実は,教員も「いたずら」の対象になる場合がある。

 かつて,「古典的ないたずら」として,チョークの粉をたくさんまぶした黒板消しを入口のドアの上に設置し,教師の頭に落とすようなものがあったが,

 さすがにまともな教師はひっかからない。

 それでも,まんまとひっかかる教師というのは,生徒に愛される人気者になれる可能性を秘めている。

 
 問題は,「いたずら」にひっかかった後の反応である。

 もし,生徒の「悪行」に本気で腹を立てて,「真面目」に指導する教師がいたとしたら・・・・?

 実はこの反応は,「正解」の一つである。


 教師の「基本的姿勢」を明らかにしてくれる「怒る」という反応は,生徒からの信頼感を高める効果がある。

 特に,普段は生徒とふざけた会話を楽しんでいるような教師なら,

 「けじめ」「メリハリ」の大切さを教える行為となる。


 子どもは,さまざまな理由で,いろいろな方法で,

 教師を「好きになろうとしている」「好きになるきっかけを探している」存在である。

 「心の広さ」だけを優先していては,生徒になめられるだけである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より