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「地獄へようこそ」と迎えられる国でのオリンピック

 警察官や消防士が空港でデモをする国でのオリンピックが開幕しようとしている。

 有力選手の出場辞退宣言は今後も相次いでいくのか?

 壮行会に出てしまった人は,どうあっても引っ込みがつかないのか?

 ただの「不安」で終わってくれる保障はあるのか?

 1964年の東京オリンピックは,日本の復興と経済成長を印象づけるものだったが,

 1940年の東京オリンピックは中止されている。

 2016年は,まだこれから,世界に激震が走る出来事が起きるかもしれない。

 2017年から2020年までの間に,そこから数えて80年前のような動きは決して起こらないと言えるだろうか。

 バングラデシュで起こったテロの衝撃は計り知れないものがあると感じている。

 日本もすでに「テロ慣れ」してしまったのだろうか。

 同じソースの映像を複数の放送局で流しても意味はない。

 独自取材を行うような,マスコミの「リスクをとる姿勢」は風前の灯火か,消え失せてしまっているかのようである。

 「危険」を察知する能力が,個人に求められる時代になることは,ぜひとも避けたいものである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より