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家庭崩壊を「利用」する教師

 ファミレスは,普段,顔を合わせていない家族たちが

 「特別会議」をする場になることがある。

 以前,私の家族の席の隣にいた両親(離婚して別居しているらしい)と子ども(30歳代?)が食事よりも「話し合い」をメインに時間を過ごしていて,結局「喧嘩別れ」に終わったようで,ずっと詳細を聞かされていた私たち家族はせっかくの料理をおいしくいただくことはできず,「もうここに来るのはやめようか」という話になってしまった。

 「理想の家族」とは何だろうか。

 「理想的」とまではいかなくても,「平和的」「一般的」な家族の関係は,どのくらいの割合で維持できているのだろうか。

 教師を長くしていると,「崩壊家族」にたくさん出会うことになる。

 「崩壊家族」の方が,「まともな家族」よりも多いのではないか,という錯覚に陥ることもある。

 子どもが本当に不憫でならない。

 学校で問題を起こす子どものうち,それを家庭に告げて注意喚起した場合,どのくらいの割合で「DV」を受けることになるか,教師は理解しているだろうか。

 余裕のない教師は「家庭が悪い」とふんぞり返って我が身の指導の是非に考えをいたらせることができないだろうが,「教師のせいで(教師の立場からすれば,子どもが悪いだけという話だが)親に殴られた」という恨みをもっている子どもがどれだけいるのか。

 思春期の子どもに対応する余裕のない親をなじるだけの教師に,何かを語れる同僚はどれだけいるだろうか。

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コメント

コメントありがとうございます。

学校の教師に限らず,医師やご近所さんも虐待については通告義務がありますが,児相に通告するとすでに把握済みというケースが多いですね。

何度も大きな喧嘩をしてくれている方が,少ない大爆発で殺されてしまうよりはまし,と思える感覚は,一般の方には理解されにくいでしょうね。

家庭もさまざまで,暴力を振るわれている子どもの方が,完全なネグレクトよりも幸せそうに見えてしまうときもあります(これも,暴力をふるわれたことがない人には理解できないでしょうが)。

公立の小中学校は,実質的には文部科学省の管轄ではなく,厚生労働省の管轄になるべきだと感じている人も多いでしょう。

公立学校が予算を両方から獲得できるような組織になり,教員は「福祉士」と兼務になって,給料がUPするようになると,教育現場に相当優秀で粘り強い人が集まってくれると期待できるのですが・・・・。

耳の痛い話です。昨晩も、教員の友人の愚痴を聞いていました。
家庭崩壊、の子どもの、学校での問題行動への指導。
先生たち、事情がわかるので、指導も苦慮してるんだなーと思いました。

何も知らないおばちゃんが聞いていると
「児相に通報したほうが良くない?」
と、単純に思ってしまいます。
(ストレル吐き出している友人には言いませんが・・・)
学校と児相って、連携ないんですか?あまりそういうことってしないんですか?

いつもブログ村からやってきて、拝読させていただいております。
kurazohさんなら、お答えいただけるかもと勝手に思い、コメントしてしまいました。
唐突に、すみません・・・できればよろしくお願いします。m(_ _)m

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より