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教育実践で失敗した人たちの共通点

 教育実践にはそう簡単に「成功」などあるわけがない。

 「成功」できるかのように見せかける「誇大広告」についついつられてしまう人間の性はわからないでもないが,「個」たちへのまなざしを失わずに実践していれば,やがて自分自身の力の限界に納得できるはずである。

 そして,その限界を突破しようとする努力こそが,教師としての生きがいになることにやがて気づいていく。

 はじめから「限界」を意識し,それに向かうことを放棄してしまう「教育方法」が紹介されているが,これは教師としての「終わり」を意味する。もう一度,就学児童に戻って,一緒に学び合いをするのがよい。

 教育実践で失敗し,挫折した人たちの中に,語る言葉から「個」が消え去ってしまう人を多く見かけるようになった。

 どうして「個」を見失ってしまうのか。

 理由は簡単である。

 自己矛盾を直視することができないからである。

 自己矛盾とは何か。

 自分がこれこそが大事だと言っているものが目の前で壊されていることに気づきながら,壊れていないことが前提で話を先に進める必要があるからである。

 教育現場で最も壊れてはならないものとは何か。

 それは,子どもからの教師への信頼感である。

 ある教育方法をとると,それが育っていかない。

 一部では,「そんなものはなくてよい」という態度をとるところまでいっているが,それはあまりにも楽観的すぎる。

 「個」を見失った人間が最も怖いのは,自分を見失うことである。

 いや,自分を見失っていることを自分が認めしてしまうことを最も怖れているのである。

 だから,呼吸が止まらないように,常に泳ぎ続けているような状態に陥ってしまう。

 教育の失敗の「二次災害」に他人をまきこむことが,「罪」であるという意識をもてるようになるかどうか。

 敵を増やし続けた先に待っているのは,迷惑を被った子どもたちである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より