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「お金」のために大切な時間を切り売りする大学教授たち

 ある大学の先生に,「先生が出された本はとても現場のニーズに合ったいい内容ですね」と声をかけたら,最初に出てきたのは「お金」の話だった。

>まだ印税が振り込まれていない。

 出版に限らず,塾や予備校以外の公教育関係の仕事はお金にならない世界であり,その先生の話しぶりからも,別にお金がほしいわけではない,というニュアンスは伝わってきた。

 大学のセンセイたちの中には,「アルバイト」に精を出す人が少なくない(私の知っている小学校のセンセイたちの中にも,基本的に「アルバイト」の方が大切そうな人がいると聞くと驚くだろうか?でも,「どうしてこの人,今ここにいられるの?」と疑問を感じてくれるだけでわかる)。

 最近,「本業の方は,大丈夫なんだろうか」と心配になるほどせっせと一般向けの本を書いているセンセイたちがいる。

 私立大学なら,大学の宣伝になるのでよいのかもしれないが,国立大学のセンセイが,である。

 何か勘違いしていないか。

 最近は,国立大学のセンセイたちが,文科省からあれこれ言われ始め,めんどうくさい書類書きが嫌になって,みんな給料が高い(あるいは,給料は安くてもいいから)私立大学に移りたがっているという。もちろん,研究や教育より「お金」の方が大切な,ごく一部のセンセイなのだろうが。

 気持ちはわからないでもないが,もっと真剣に「研究」や「教育」に力を注いでもらえないものか,と心配になる国立大学がある。

 教育実習生の「質」が目に見えて落ちてきているからである。

 「凋落」という表現がぴったりかもしれない。

 大学で,「まとも」な授業を受けているという実感がわかない。

 中学生でも知っているような知識すらもっていない。

 国立大学に,こういう学生が入れてしまうこと自体が不思議なのだが,自分がいい授業を受ければ,自分でいい授業ができるようになる方法を学べるものである。

 ある社会科の雑誌の冒頭に,ナントカのひとつ覚えのようなコラムを書き始めた「名誉教授」がいるが,この人の書いている文章からは,「何が言いたいのか」が全く伝わってこない。

 「結論」のない文章を書くのと,「質問」にきちんと答えないことがこの人の持ち味だそうだ。

 こういうタイプの人の授業を受けていると,こういう学生になってしまうのだろう,と想像がつく。

 「お金」のためではなくて,もっと目の前の学生のために情熱を注いでくれる大学のセンセイが増えてくれないだろうか。

 教育現場に出てくる若い先生たちの「恩師検索システム」を稼働させる時期を早めてもらいたい。

 教育は,成果が出るまでに時間がかかる仕組みの仕事である。

 だから,退職してから成果が出る場合もいくらでもあるだろう。

 しかし,「同じ教え子」たちから次の世代の教師たちに,きっと「教え」は伝承されていく。

 いつでも「ルーツ」がたどれるシステムがほしいところである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より