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「日本人として誇りに思う」という言葉づかいの是非~日本の道徳教育の「せこさ」

 中学校の道徳の内容に,次のようなものがある。

>日本人としての自覚をもって国を愛し,国家の発展に努めるとともに,優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献する。

 これを評価の対象にしたとき,どのような中学生の言葉なり行動なりが「優れている」と見なされるのだろうか。

 指導にあたっては,次のような「留意すべきこと」も示されている。

>国を愛することは,偏狭で排他的な自国賛美ではなく,国際社会の一員としての自覚と責任をもって,国際社会に寄与しようとすることにつながっている

 自国優先の考え方を捨てて,世界の平和と人類の幸福に貢献する意識を高めることが重要であるはずだが,

 どこまでが「偏狭で排他的」と見なされるのか,また,どこまでの「自国よりも他国の平和や幸福への貢献」が求められるかの判断はとても難しいものである。

 イチロー選手が日本ではなく,アメリカの企業のために尽くし,その「利益」に貢献することは,もちろん間違ったことではない。

 ただ,最初に示した道徳の枠からは,はみ出してしまっていることは言うまでもない。

 もしイチロー選手が,「日本人だから,日本のためにがんばっている,なんて気持ちはない」と言ってしまったら,イチロー選手に対して,道徳教育の観点からは低い評価を与えないといけないことになってしまう。

 「視野を広く」「国際的視野をもって」などという言葉が道徳の目標や内容におどっているが,

 なぜかそういう言葉で表現してしまっていること自体が,道徳教育が「視野が狭く」「国際的感覚を欠いている」ような錯覚に陥ってしまう。

 海外で活躍する日本人に対して,「日本人として誇りに思う」という感想は,とてもスケールの小さい人間の発想にすぎないように見えてくる。

 「せこい」・・・これが日本の道徳教育にも適用できる印象だということに改めて気づかされた。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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