教育実践で失敗した人たちの共通点
教育実践にはそう簡単に「成功」などあるわけがない。
「成功」できるかのように見せかける「誇大広告」についついつられてしまう人間の性はわからないでもないが,「個」たちへのまなざしを失わずに実践していれば,やがて自分自身の力の限界に納得できるはずである。
そして,その限界を突破しようとする努力こそが,教師としての生きがいになることにやがて気づいていく。
はじめから「限界」を意識し,それに向かうことを放棄してしまう「教育方法」が紹介されているが,これは教師としての「終わり」を意味する。もう一度,就学児童に戻って,一緒に学び合いをするのがよい。
教育実践で失敗し,挫折した人たちの中に,語る言葉から「個」が消え去ってしまう人を多く見かけるようになった。
どうして「個」を見失ってしまうのか。
理由は簡単である。
自己矛盾を直視することができないからである。
自己矛盾とは何か。
自分がこれこそが大事だと言っているものが目の前で壊されていることに気づきながら,壊れていないことが前提で話を先に進める必要があるからである。
教育現場で最も壊れてはならないものとは何か。
それは,子どもからの教師への信頼感である。
ある教育方法をとると,それが育っていかない。
一部では,「そんなものはなくてよい」という態度をとるところまでいっているが,それはあまりにも楽観的すぎる。
「個」を見失った人間が最も怖いのは,自分を見失うことである。
いや,自分を見失っていることを自分が認めしてしまうことを最も怖れているのである。
だから,呼吸が止まらないように,常に泳ぎ続けているような状態に陥ってしまう。
教育の失敗の「二次災害」に他人をまきこむことが,「罪」であるという意識をもてるようになるかどうか。
敵を増やし続けた先に待っているのは,迷惑を被った子どもたちである。
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