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マエケンの成功要因~一流の条件とは?

 プロ野球解説者・宮本慎也氏によれば,ドジャース・前田投手のここまでの活躍の要因は,

 「対応力の高さ」にあるということである。

 投球フォームを大リーグのマウンドに合わせて変えているらしい。

 「変化し続けることができるかどうかが,一流の条件」ということだが,

 一度成功をつかんだ人間が,そのときのスタイルに固執しやすいことを考えれば,

 「一流」と呼べる人がなかなかいないことに納得してしまう。

 考えてみれば,学校教育の世界では,

 「一流の教師」という呼ばれ方をあまり耳にしたことがない。

 「超一流大学」とか「三流大学」とかいう言葉はあるが,

 「一流の教授」という言葉はあるのだろうか。


 公立の教師たちには「異動」があるが,

 「異動」してきてしばらくは,「私の学校では」などと,まだ前年度までの勤務校の一員であるかのような「物言い」をする人がたまにいる。

 そして,現在の勤務校を「この学校は」と呼ぶ。

 「流れ」に逆らうような「浮いた」存在になってしまう教師がいる。


 私が教師たちの公共観念の乏しさを紹介する事例の1つになっている。

 言葉が長くなってしまうから,省いてしまうという言語感覚もあるのだろうが,

 「私たちの」ではなく「私の」になりやすい癖は,簡単には抜けないようである。

 「アワ」と「マイ」の区別がつかないのは,複数形にすることが面倒だという日本語の特質に由来するものかどうかはわからないが,「私たちの学校では」はどんどん短くなり,

 やがて「うちでは」という言い方になる。

 家も学校も同じくくり。


 「一流」という言葉を改めてながめてみると,

 なぜ「流れ」という文字が使われているのか,「流れ」という文字が使われている意味は何か,

 という問いが立てられる。


 大きな流れには逆らわず,うまく流れに乗ることができ,そして決して流されることのない,

 そういう人間のイメージをつくっておきたい。


 進んで変化を選ぶことができる「強い自分」を育てる学校をつくるのは,

 「一流の教師」たちの存在が欠かせない。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より