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「本当の自分」とは何か?

 日常,「自分とは何か」を問い続けながら生活している人はいない。

 むしろ,その問いから遠ざかることが,安心した生活を営むコツであることを知っているのだろう。

 しかし,安心は安全を裏切る。

 「自分を裏切っている自分」がいないかどうか,問う時期があってもよいだろう。


 「問い直し」が大切なことを教えてくれる映画を,童門冬二氏がコラムで紹介している。

 そのコラムの中で,ご自身の次のような過去を振り返っている。

>私の場合は戦争が起こって「健康な少年」は軍に志願するのが常識,という社会の雰囲気で教員になれなかった。

 私の祖父は高校の化学の教師だったらしいが,病で母が子どものときに亡くなっている。

 やはり数学の教師だった祖母が,一人で5人の子どもを育て上げた。

 「教師は健康的でない人がなるものだった」という捉え方が正しいかどうかわからないが,

 兄弟が2人戦争に行っている父の家系では,父以外,健康な人が多かった。

 
 もし,健康そのもので軍隊に入るような人が教育現場にいたら・・・と思うと,背筋がぞっとする面もあるが,おそらく戦争中は,かなり背伸びをして,無理をして,「本当の自分」には背を向けて,がむしゃらに子どもを鍛えていた教師が多かったのだろうと思われる。

 教育は,「本当の自分」とは何かをじっくり考えることができる環境を与えてあげることが大切であることは言うまでもないだろう。

 もちろん,子どもの頃はその答えを出すときではない。

 答えを出すことが目的の教育ではなく,問いを出し続けることが目的の教育をすべきなのである。

 どんなに子どもたちで協力し合って「答え」を見つけても,

 それは本当の意味での「アクティブ・ラーニング」ではない。

 「問い」を大量生産していく姿を授業では見ていただきたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より