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教育ではアレンジ能力が問われる

 ≪ビジネス発想源≫もすでに4224回に達しているのですね。

 当ブログの記事数も,いつの間にか4000を超えていますが,整理のしようがなくて困っています。

 さて,「教育はアレンジ力」という記事を読ませていただいた感想は,

 「まったくその通り」・・・です。

 ~でなければ社会科教育ではない,というような言い方では,子どもも未来の教師も育たたないでしょう。

 『学び合い』も,「宗教だ」なんて言っている場合ではありません。

 実際に,「信じている」教師がいて,教室で実践してしまっている以上は,批判に対しても「お前にはわからないだろう」なんていう態度をとるべきではないはずです。

 それこそ,「教師としての資質」が問われている状況だということに気づいてほしいのです。

 内容のアレンジ,方法のアレンジ,知識のアレンジ,思考法のアレンジなど,

 教育学者であれば,いくらでも提案できるはずなのに,

 アメリカ直輸入の学説なり調査結果をありがたがり,日本の教育現場を直視しようとしない大学教師の態度は,文科省よりもたちが悪いものです。

 文科省の悪口を言うことや,アメリカ直輸入の学説で友好関係を保っているだけの学者たちには,決定的に欠けているものがあるのです。

 それが,人々の知恵のアレンジです。

 大学にすり寄るタイプ(自分も将来,大学に行きたいと考えている教師)ではない,学校現場のたたき上げとの太いパイプです。

 今年度,私は新しい大学側のパイプを得ることができました。

 見放されないよう,よい実践を提案していきたいと思っています。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より