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「公立中高一貫校」は大学受験指導をしっかりと行う「私立中高一貫校」の廉価版になっていないか

 このブログでは何度かふれている話題だが,

 「公立中高一貫校」が実施してはならないことになっているものがあることはご存じだろうか。

 学校教育法施行規則という法令では,次のように定められている。

>第百十条  中等教育学校の入学は、設置者の定めるところにより、校長が許可する。

2  前項の場合において、公立の中等教育学校については、学力検査を行わないものとする。

 「学力検査」は実施してはならないのである。

 「受験競争の低年齢化を招くことのないよう」にするために。


 「公立中高一貫校」が「商売敵」になってしまった「私立中学高等学校」の連合会が,

>公立中高一貫教育校の入学者選抜における「学力検査」の取扱いについて(意見)

 を公表しているので,最初の部分を引用させていただく。

>公立中高一貫教育校は、平成11年4月に施行された「学校教育法等の一部を改正する法律」によって制度が発足しましたが、学校の設置・運営に係る費用の全額を公費で賄われている学校であり、何よりも、公平・平等を基本とする公立義務教育機関であることから、国会での上記の法案審議においても、「受験準備に偏したいわゆる『受験エリート校』化など、偏差値による学校間格差を助長することのないよう十分配慮すること」 「入学者の選抜に当たって学力試験は行わないこととし、学校の個性や特色に応じて多様で柔軟な方法を適切に組み合わせて入学者選抜方法を検討し、受験競争の低年齢化を招くことのないよう十分配慮すること」等の趣旨の付帯決議が衆参両院の委員会で行われています。


 国民の側は,「私立と同じことをやってくれて,学費が安くすむ公立があるのはありがたい」という感覚で,大学進学実績のよい公立中高一貫校を選ぶから,当然,「偏差値による学校間格差が助長」されることになる。


 今では,東大合格者数を前面に出して,「受験エリート校」であることを宣伝する公立中高一貫校まで現れている。

 高校の世界史未履修問題に代表されるように,

 日本は教育分野について言えば「法治国家」とは言えない状況が一部で見られる。

 私が教育委員会を自ら去ったのは,まさにある中高一貫校の「適性検査」という名目の「学力検査」による入学者選抜が実施された年度であった。

 そのとき「法令の趣旨に反することに加担するのは良心が許さない」という啖呵を切って辞めていたらかっこよかったかなと後悔している。

 
 塾で「適性検査」対策をこなし,問題を解いて,希望した公立中高一貫校に進学した子どもに罪はない。

 浮いたお金で塾に通わせてもらって,家計にもやさしく,学習量も増えるのだから,おいしい選択になっている。

 だれにどのような「罪」があるかは,あえて書くまでもないだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より