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「謝罪」を強制したり要請したりしない文化国家

 問題行動を起こした生徒に,「謝罪文」を書かせる指導を行う場合があるが,

 「謝罪文」を強制された子どもはどのような気持ちで文章を綴るのだろう。

 「謝罪文」は「次の」問題行動の抑制に,どれだけ役に立つのだろうか。

 
 オバマ大統領の広島訪問が決まったそうである。

 安倍総理は,「謝罪を求めるか」という質問に直接的には答えなかった。

 「謝罪を求める」姿勢と,「謝罪とは謝るべき人が自主的に行うものだ」と考える姿勢は,

 どちらの方がより「文化的」であろうか。

 
 日本が行っている「謝罪外交」を超えた「本当の信頼関係を築くための外交」とはどのようなものであろうか。

 「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく,ただ愛によってのみ消え去るものである」

 サンフランシスコ講和会議でスリランカ代表が語り,日本を救ったブッダの言葉が脳裏に浮かぶ。

 27日に注目したい。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より