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「研究者としては終わっている」大学のセンセイ

 内館牧子著,『終わった人』・・・読むのが怖いタイトルの本である。

 これから,毎年何十万人という数の人たちが,「終わって」いく。

 ある大学のセンセイは,自分が「研究者としては終わった」ことを自覚しているという話をブログで書いている。

 学術論文をどれだけ書き,学会で賞をもらっても,それが何かの役に立っているわけではない。
 
 大学教員の職は手に入れられても,中央に呼ばれて国のために役に立てるわけでもなく,ただ長く自分の居場所を手放さないだけでいることに,満足できなくなっていく。

 「本物」にはなれそうもないから,せめて「有名」になろうと努力する。

 教育関係の人間の「行きつく先」は,こういうものだということを見せつける。

 教科教育の人たちに,喧嘩を売るものの,研究者には,誰からも相手にされない。

 話し相手は,現場の教育に困っているセンセイたちしかいない。

 こういう「哀れ」な大学のセンセイの末路が,本人だけの悲哀で終わるなら害はないが,

 将来,「教員の数が2分の1か3分の1ですむ」という教育の考え方は,全く別の意味で現実味を帯びてきてしまう結果になりかねない。

 完全に正反対の意味で。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より