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「総合的な学習の時間」で失敗している学校に,次期学習指導要領が実践できるわけがない

 国が実施しているいくつかの調査の結果をまとめてみれば,内容を削減しないことを宣言してしまった次期学習指導要領を適正に実施させることが非常に困難であることは,素人が分析しても明白なはずである。

 今,公立学校というのは,たかが「全国学力調査」程度の問題を解かせることだけでも四苦八苦している状態である。

 「事前に問題を解かせてみる」学校がある理由は,「問題文の意味がわからないために解けない(解こうとしない)児童」への対応策である。

 問題が「解けない」理由にはさまざまなレベルがあるのだが,国語力がないために,何をどう答えたらよいのかわからない子どもが少なくない。

 そのため,教師が「こういう質問は,こういう考えができるかどうかを確かめるためのものですよ」と教えてあげないと,「解こうとする」段階までもっていけないから,「事前指導」が必要,という話になっている。

 こんな状態の公立学校に,「主体的・能動的な学び」をさせることを要求することの「無理さ」は,教師ならだれでもわかっていることである。

 そもそも,「総合的な学習の時間」における学習が,「主体的・能動的」に行えていない学校については,教科学習をそれを行え,といっても無理な話である。

 どういう問題が起きているかというと,効果が非常にあやしい「家庭学習」という名の大量の宿題を小学生に背負わせる教師が増えているのだ。

 「こんなこと,学校の中でやっても意味がない」と思える内容を,家庭に押しつけ続けることについては,そろそろブチ切れてあげようと思っている。

 新採3年目くらいの若い教師が調子に乗って宿題を出しまくっている姿を校長は知っているのかどうか。

 混乱する現場のトバッチリを受けるのは,子どもや家庭である。

 公教育の未来は,果てしなく暗い。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より