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大学に巣くう制御不能の教師たち

 『学び合い』のセンセイも,ゴジラにたとえられた?センセイも,大学では「制御不能」なのだろう。

 小学校教諭のような立場ですら,「学級王国」の「おうさま」になれる。

 中学校では学年の動きが中心になるから,教師は「社会化」を求められる。

 高校では教科の責任が重くなるから,教師は「学力向上」が不可欠になる。

 大学の場合は,小学校ととても似ているかもしれない。

 小学校では子どもたち,大学では院生や学生といった「個人的にこき使える人材」がいる。

 自分が「権力」をもっていることを容易に自覚しやすい立場にあり,それが落とし穴になる。

 学会でも手がつけられないといった「定評」のあるゴジラさんは,口が悪く,気品が感じられない。

 「指導教官」は紳士に見えるが,弟子は師に似なかった。

 教員養成系大学と,教育現場の間に亀裂を走らせる元凶にだけはなってほしくない。

 悪評というのは,簡単に広がっていく。

 気の毒なのは,「教え子さん」たちである。

 国立大学法人に通う学生は,私大生と比べてもともとバランス良く高い能力をもった真面目なエリートである。

 その才能をつぶさないでほしい。

 隔世遺伝になることを期待したい。

 「価値」を対象に研究している学者が,偏った価値意識を押しつけてしまうことの問題性を,

 バートン先生たちはご著書で指摘されていたと思う。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より