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学校現場を知ってるつもりでいる大学のセンセイ

 学校現場にいて,イライラさせられるのは,取り巻きの一部の教師から聞かされている話を真に受け,学校のことを知っているつもりになっている大学のセンセイです。

 私は何十校も学校訪問の経験があり・・・・と偉そうに「実績」を語ってから本題に入ろうとした指導主事が総スカンをくらっている現場を目撃したことがありますが,教育委員会の指導主事とか大学のセンセイという「外部」の人間に,学校現場の大変さが直接伝わるということは滅多にありません。

 指導主事の中には,学校現場に戻らせてもらえない人が何%か存在します。

 話をしている姿を見るだけで,「この人には管理職になる資質も能力もないだろう」ことがなぜわかってしまうのか?

 肌感覚でそういう「知ったかぶり人間」への拒否反応がでてくる人は,現場にはたくさんいます。

 ご自分は理詰めで話しているつもりなのかもしれませんが,「それが正しい話に聞こえてこない」という現場の教師たちの肌感覚を,気づける能力がないか,気づいていても無視できる神経をもっている人間に対して,普通の人は拒絶反応を示すのです。

 芝居がかった語り自体が大嫌いという人もいるでしょう。

 最近,あることに対する批判が高まっていることが原因なのでしょうか。

 批判を封じるための言葉が「考え方です」という「言い訳」です。

 「考え方」自体は批判したり否定したりしにくいものですからね。

 躍起になって自己保全に走っているようですが,学校現場のことを語れば語るほど,

 「思い込み人間」はボロを出しまくることになります。

 「教員の数が3分の1ですむ」というご自分の教育の「考え方」は,

 「普及するわけない」ことが自分でもわかっているからこそ,安心して発言できることは

 理解できます。

 しかし,この批判不可能な「考え方」には,致命的な欠陥がはらまれているからこそ,

 「害をもらたす」結果になるおそれがあるのです。

 実際の被害が出てくる前に,何とかしたいものですが・・・。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より