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« 無知が無恥を批判している | トップページ | 『学び合い』とは,クラスの仲間から嫌われないように,教師に利用されることを強制される教育であるようだ »

大学のセンセイの暴言~大金を払えば崩壊学級を魔法で変えてやる

 だれにも止められないのか。

 最近の文章を読んでいると,センセイを陥れるための「別人によるなりすましか?」と思われるような内容ばかりになっている。もし本人だったら,何かに焦っているようだ。

 私が現場の教師として「これだけは許せない」と感じたのは,

 自分が飛び込み授業をするときに,「最高」なのは「学級崩壊しているクラスだ」というもの。

 「感謝されるから美味しい」などと書いているのが許せない理由である。

 感謝されれば人はうれしくなるものであり,そこを否定するつもりはないが,

 「美味しい」という言葉使いが,センセイの人格を象徴しているように思える。

 私が絶対に近寄りたくない,教員には採用したくない最低の人間の代表である。


 さらには,「私に依頼することも可能だが,かなり高額になる」・・・・・・と・・・。

 これが,どこかの塾の宣伝ならわかるが,私学ではない大学の教員が,公的に発言できる内容なのか?

 「大事なのは金」の内容も同様である。

 中学校ではごく少数だが,小学校の教師たちの中には,高額の参加費を支払って研究会に参加し続けたり,教育書(専門書ではない)を買ったりする人たちが少なくない。

 これは,学校のためというより,「個人が経営する学級の利益」に直結する,ということが背景にあると思われる。

 そういう教師たちを食い物にするような大学のセンセイ(もちろん,大学だけではない。そういうのがうようよ存在する)には,「倫理」意識が強烈に欠如しているようだ。

 倫理観を欠いた教師でも現場に立てる,というのが『学び合い』の本質なのか?


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より