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「あの国」と「あの芸能事務所」の共通点

 タイトルだけから国名と事務所名がわかった人は,

 「小さいときから恩を感じながら育てて思い通りに動かす」ことがそっくりだということにお気づきでしょう。

 「子育て」はそれなりにできても,「子離れ」ができない親は,せっかくの「親離れ」の機会を奪ってしまう。

 「利益確保」のために国民や社員を利用する国や事務所が,どのような「崩壊」の仕方をするか,

 未来のことではありますが,過去の歴史から想像することができます。

 「恩知らず」と罵られながらも,自分の道を歩んでいくことができる国と,できない国はどちらが「長持ち」できるのでしょうか。

 ある企業では,「カリスマ」の退場によって,何がどのように変化していくのだろう,という関心を呼んでいるようですが,「カリスマ」のオーラを受けて育った人がいる以上,何も変わらないのではないか,と感じている内部の人がいます。

 本当の意味での「改革」を成し遂げるためには,そういう「カリスマ」を上回る「カリスマ」が出現しないといけないのかもしれません。

 実力をつけた芸能人が,新しい事務所を開いて活躍できるような社会に変わることは可能でしょうか。

 「封建社会」から抜け出せるかどうかが問われている時期です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より