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小学校教師の問題は「テスト嫌い」と「作問能力不足」

 中等教育ではテストやレポートの成果で学習状況を把握するが,

 小学校には「テスト嫌い」の教師が多い。

 「テスト嫌い」の子どもに迎合して,テストをしない,という選択肢をとる教師がいるのは困る。

 小学校の教師が「テスト嫌い」である理由の1つは,

 「テストの点数(平均点)の高い低いで,自分の指導力を評価されたらたまったものではない」という意識があるからである。

 中学校や高校では,よほどの大規模校でなければ,同じ学年のクラスは同じ教師が担当してテストを行うから,クラスによる平均点の違いは自分の指導力が原因である,という話にはなってこない。

 中学校や高校では,教師がテストの問題をつくるが,小学校の教師は業者のテストを使用するのが一般的である。

 自分で各教科のテストの問題をつくっている小学校の教師は,どのくらいいるだろう。

 業者テストそのままでは,いかにも画一的な知識や技能を問うのみで終わってしまう。

  血と心が通ったテストには,授業場面をはっきりと思い出させてくれるくらいの具体性を根拠にした発展的な問題が含まれる。

 こういうテストが作れるようになって,教師は一人前になる。
 

 普通の授業と異なり,テストでは同じ時間にすべての子どもの「発言」「考え」を集めることができる利点もある。

 テスト用紙にコメントを書くことで,すべての子どもに指導・助言ができる。

 『学び合い』の場面では判断しにくかった,だれが何をどの程度理解し,個別にどのレベルの思考力や表現力があるかを知ることができるのがテストである。

 さて,大臣が「学力調査の過去問を授業で解かせるな」という趣旨の発言をしたらしい。

 この大臣は,そもそも学力調査のねらいが理解できていないと見える。

 まずは大臣が学力調査を受けてみることをお薦めしたい。

 
 この世の中には,教師の説明を聞く以外の方法で,学力を向上させられるものがあったことに気づけるはずである。

 全国学力調査の問題を作ることは,それほど簡単なものではない。

 「いい授業ができる」人だから,「いい問題ができる」という図式がわかっていない人が大臣では困る。

 
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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より