ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「ライバルを出し抜く」という経験ができない教育界 | トップページ | 【重大学校事故発生 注意喚起を!】 学校における安全・安心 »

学校への「正式な要望」の提出方法

 第8期中央教育審議会の審議状況を見ると,

 学校が「社会に開かれた教育課程」の編成・実施を求められる方向であることは間違いない。

 「地域に開かれた」ではなく,「社会に開かれた」となっている点にも注目である。

 社会で当たり前になっているのに,学校ではそうでないこと・・・たとえば「現金による集金」など・・・は,今後あり得なくなっていくはずである。

 「貧困などの目の前にある生活上の困難を乗り越え,負の連鎖を断ち切り未来に向けて進む希望と力を与える」などとは,いつのどの国の子どもの話かと思ってしまうが,

 それだけ日本の厳しい未来が想定されているということ。

 教師の役割の大きさが増していることは言うまでもない。

 「チーム学校」については,学校が地域の人々や専門家と連携して教育にあたるという趣旨は悪くはないが,まずは学校内の教師たちがチームになっていなければ意味がない。

 「学級王国」問題がある公立小学校は,担任が変わると環境が一変したり,校長が変わるとまた違った影響が出るなど,私も含めて保護者の中には頭を抱えている人が多い。

 私は指導主事経験があることも影響して,授業参観では衝撃を受けることが多い。「若いからしょうがないか」ではすまない問題に遭遇することもあるから,オブラートに包みながら言葉を選んでアンケートに記入して帰ることにしているが,反応が返ってきたことはない。

 保護者としては,繰り返し繰り返し,とにかく学校の中が組織としての動きをしてくれることを切に願い続けたい。

 もし保護者として,学校に具体的な要望があるときは,電話ではなく,文書で通知することをお薦めする。

 まず,「~小学校長様」と宛名を左上に書き,右上には日付を入れる。

 中央に「要望書」というタイトルを入れて,

 具体的な要望を完結に書く。続いて,理由を記すのだが,効果的なのは,その学校の教育課程届けの内容を引用することである。法令や答申を調べてその言葉を借りてくる方法もある。

 最後は「ぜひとも学校として組織的な対応をしていただきたく,校長先生のご回答を求めます」と締めくくる。

 個人で要望書を出す勇気がなければ,友達を誘って連名で提出する。名前は右下に書いておく。

 学校に握りつぶされることをおそれるのであれば,「写し」を教育委員会・教育長宛にも送付しておき,

 「写し」の内容を校長先生にお願いしているところです。教育長様からも積極的なご支援・ご指導をよろしくお願いします。」

 と書き添えておく。

 こういう文書が遠慮なく届けられるような学校でなければ,「社会に開かれた学校」とは呼べないだろう。
 

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« 「ライバルを出し抜く」という経験ができない教育界 | トップページ | 【重大学校事故発生 注意喚起を!】 学校における安全・安心 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

学校選択制」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 学校への「正式な要望」の提出方法:

« 「ライバルを出し抜く」という経験ができない教育界 | トップページ | 【重大学校事故発生 注意喚起を!】 学校における安全・安心 »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より