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成功事例を真似して失敗する理由

 教師や親は,子どもの成長を支える存在である。

 こういう言葉をかけたから,こういう取り組みをさせたから,

 子どもはこうやって伸びた,という成功体験が語られること自体は悪いことではない。

 未熟ではあるが教育熱心な教師や親は,他人の成功体験から学ぼうと努力する。

 ただ,同じことをしても,うまくいかない人が多い。

 どうして「こういう言葉かけはすばらしい」「こういう授業はすごい」「こういう態度は立派だ」と感銘を受けたことを自分がやろうとしてもうまくいかないのか?

 教師や親としての私の直観では,理由は2つ考えられる。

 1つは,「感動させてやろう」「やる気をもたせてやろう」という気持ちが強すぎることである。

 子どもの側が冷めてしまうほど教師や親の熱が入りすぎているのはよくない。

 私が参観していて「これはまずいな」と思ったのは,教師が「しかけ」をして,

 子どもを「罠にかける」ような嫌らしい下心が見え見えだったときである。

 その教師にしてみれば,「自分の指導力の見せ所」といった実感があるのだろうが,

 だからこそ余計に強烈な嫌悪感を引き出してくれる態度だった。

 もう1つは,タイミングである。

 教師や親の言葉かけが効果を発揮するには,子どもの側でそれを受け入れる余裕のあるタイミングというものが重要である。

 どのような状況・環境の中で,子どもにその言葉をかけたのか。

 本などで文章に書かれた範囲ではわからない重要なことがらが非常に多いのが教育の世界である。

 言葉の内容よりも,むしろ「そのタイミングで声をかけたこと」自体に意味があったというケースもあるだろう。

 だから,「いつかけてもよい言葉」なのかどうかを吟味することと,

 「言葉をかけるベストのタイミング」をとらえることが必要である。
 
 教育に「焦り」は禁物である。

 そして,「自分が(教育で)手柄を上げる」なんていう自分本位の考えを捨てることである。

 自分(教師や親)と子どもとの協働作業で,自分も子どもも成長するイメージを忘れてはならない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より