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最も胡散臭い「ナントカ教育」は何か?

 胡散臭さの「最高峰」は「道徳教育」にある(根拠については「道徳教育」の「専門家」が最も詳しいはず)というのが持論ですが,今どきの教育界は,

 「薬物乱用防止教育」「ICT教育」「主権者教育」「金融教育」「キャリア教育」など,

 「教育」の前に「問題」を抱える何かをつければ何でも「カネを生み出す打ち出の小づち」になっていきます。

 「ICT教育」の最大の問題は,多くの家庭で用意できる機器を学校では用意できない,という「カネ」の壁にあります。

 教師が詳しくなるはるか前に,子どもの方がよく知っている状態が生まれる。

 いずれ,「キャリア教育」の世界も,現実社会を知ることになる高校生や高校中退の子どもの方が「専門家」になっていきます。

 「先生なんて,何も知らないでしょ」という高校生に,迷わず「ハイ!」と即答してしまうような世界です。

 「薬物乱用防止教育」は,警察の方からDVDを使った講演をお願いできますが,

 もっともっと「よく知っている」生徒がいたりする。

 学校で学ぶことと,家庭や地域社会で学んでもらうことの線引きをしようとする人はいません。

 なぜなら,学校が,「家庭や地域社会との連携」を考える主体になってしまっているからです。

 政治家って,何のためにいるのでしょう。

 市役所につとめている公務員の存在意義ってなんでしょう。

 首長は何のために選挙で選んでいるのでしょう。

 今は,教科書採択を見ればわかるように,首長の関係者が教育を動かし始めている時代です。

 そうそう,「オリンピック教育」というのも始まっていますね。

 「東京オリンピック」に向けて,すでに相当の予算が教育にも費やされているようです。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より