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「自粛ムード」への異論が出せる空気の大切さ

 熊本から大分にかけて地震が相次いでいる。

 日本列島全体が山脈であると考えれば,山脈の中でも高い部分が崩れやすいことはイメージしやすい。

 このような規模の地震への備えは,「私たちの県には必要ないだろう」という所は日本にはないのである。
 
 今,日本では東日本大震災の記憶をよみがえらせている人が多いだろう。

 それは,自分が被害を受けたからではなく,テレビ番組やコマーシャルを目にしてである。

 「事なかれ主義」「忖度」「多数に従うことが大事」・・・・今はジャーナリズムでさえ,こんな空気に覆われている。

 空港や鉄道が物理的に利用できなくなるために中止にされるイベントなどがあるのはわかるが,

 日本では「自粛ムード」といって,

 「あれだけ大変な思いをしている方がいらっしゃるのに,お笑いの番組を流すなんて・・・」

 などといった批判を避けるためか,テレビやラジオなどの番組の再編が相次いでいる。

 こういう状況が「おかしい」という意見が言える著名人は数少ない。

 ネット上で(私が)確認できたのはホリエモンと本田圭佑だけである。

 「この2人なら」という両者ではあるが,もっと「普通の人」でも異論を公表できて,公表できた人が執拗な攻撃を受けたりしない社会であってほしいと思う。特に壊滅的な被害を受けるような場合には,人々は冷静さを失い,過激な言動に出る人も増えてしまうだろうから,「他人への攻撃」よりも,「自分がすべきこと」「自分ならできること」を考えられる土台をつくっておきたい。


 「自粛」「自制」もあくまでも「自己判断」であるから,それ自体を批判することはできないが,

 「萎縮」であるなら,「そんなことではジャーナリズムの存在意義がなくなる」と言いたい。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より