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次期学習指導要領で「大量生産」される「落ちこぼれ」

 先日,授業参観にやって来た教育実習を控えた大学生は,あることに衝撃を受けていた。

 教師が発言している間に,どんどん生徒から疑問なりアイデアなり意見なりが飛び出していく。

 自分の学校時代は,教師の発言中,生徒が口出しすることは御法度だったと。

 もちろん,そういう場面も必要だろうが,社会科のように教師が話す時間が多い教科では,生徒からの言葉による反応を禁止してしまうと,本当に受け身の学習になってしまう。

 ちょっとでもひっかかる言葉に出会ったら,仮に自分一人に限られるかもしれないような疑問でも,すぐに教師に質問できる,そういう環境がないと,一斉授業は死んでしまう。

 
 次期学習指導要領に向けて,徐々に見えてきたものがある。

 どのような「資質・能力」を身につけるかを重視する,

 コンテンツベースからコンピテンシーベースの授業への転換がその柱である。

 
 そうすると,穴埋めにする言葉をみんなで探しているような『学び合い』では,全く通用しない評価が待っていることになる。


 ごくごくわかりやすく表現すれば,コンテンツベースではないから,

 今までの「1問1答式」ではなく,「論述問題」「資料活用問題」など,文章で記述する問題がメインとなる。

 要は,正答率が高くても3~5割だった「応用問題」がテストの中心になるということだ。


 今までは,どんな子どもでも「これと,これと,これを覚えておけば半分くらいの点数がとれる」世界だったが,

 これからは,「こういうことと,こういうことと,こういうことができるようにならないと点数がとれない」世界に入っていくわけである。

 私のイメージでは,2割くらいの子どもは学力が伸びていくが,下の3~5割は全く対応できないような学習が待っていることになる。

 新しいタイプの「落ちこぼれ」が大量に生まれていくことになろう。
 
 知識もなければ思考力もあるかないかわからない。

 
 新しい大学入試では,運不運が左右する。

 たまたま自分が追究していたテーマにあたると,すごくできるかもしれないが,

 全く予想外のテーマにあたると,応用力がない生徒は太刀打ちできない。

 
 具体的な「現場対応不可能性」が,これから明らかになっていくだろう。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より