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授業の成果がわかるテストをつくる

 塾に通っている子どもだけが有利になるのはおかしいと,

 最近では学校のテストの過去問を全員に配布しているところもあるようです。

 私の学校に関しては,塾が教師ごとの過去問題をストックしておき,生徒に売るビジネスをしているところもあるようです(入試問題ではありませんから,当然,著作権法に違反する行為です)。

 入試問題の改善が少しずつ進み,東京都でさえ,記述問題が分野ごとに最低1題は出されるようになっています。

 これからの教師の課題は,授業で学んだことの成果をしっかりと発揮させてあげることができる問題を作成することにあります。

 数学でいえば,ただの計算問題は授業で行えばすむので,定期考査では応用問題を中心に,考える時間をしっかりととって「自分の思考の過程をたくさん書かせる」ことに重点をおくようにすればよいのです。

 いわゆる「おおむね満足」といえる状態はできるだけ授業中に徹底できるようにして,定期考査では「十分満足」できる成果が出せたのか,さらにその上をいく成果が出せるのかを問うようにしないと,「評定」段階でいう「5」の判定材料が得られないことになってしまうのです。

 観点別学習状況の評価の「A」は,5段階評価の「評定」では「4」と同じです。

 まだ誤解をしている人が多いかもしれませんが,4観点ですべて「A」をとっても,評定では「4」の可能性があります。なぜなら,「A」も「4」も「十分満足」という「同じレベルの判定基準」だからです。

 5段階評価の「5」というのは,「十分満足できるもののうち,特に優れているもの」というイメージです。

 だから「5」がクラスに一人もいない,という事態は別に起こってもかまわないわけですが,

 評価のインフレが進み,2割以上の子どもに「5」をつけてしまう教師もいるようです。

 基本的には,授業ではできるだけ多くの生徒の「おおむね満足」の状態をつくり,定期考査では,塾では問われたことのない,学校の実際の授業で得た知識や技能を活用し,思考力を問うような問題で「本物の成果」を見出すような取組みを進めていくべきです。

 私の中学校1年生の歴史の授業では,「桂川用水差図」の読み解きを行いますが,この授業を受けていると,今年の東大の入試問題が解けてしまうことがわかりました。

 毎回使っている資料でも,見方や切り口を変えることで,見た目的には全く異なる問題をつくることもできます。

 もちろん,授業で強調している本質的な部分が理解できていれば,どの問題にも対応が可能です。

 学校内でも,他教科から「こんな問題では,本当の生徒の実力はわからないのでは?」という批判ができるような「学力向上取り組み体制」を整えるべきでしょう。

 学力を高める最大のポイントは,テスト問題づくりにあります。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より