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義務教育学校の存在意義

 小学生と中学生。この両方を教えることができる先生は,日本にそれほど多くない。

 今までは,実際に小学生と中学生を同時に教えることができる環境もなかった。

 法改正によって,今後は,「義務教育学校」が少しずつ増えていく。

 義務教育学校とは,小学校1年生から6年生,中学校1年生から3年生にあたる,

 1年生から9年生を対象に教育を行う学校である。

 教師にとって,もし持ち上がりでいけば,同じ子どもと9年間の付き合いである。

 これまでも「中等教育学校」があったが,最長でも6年間であった。

 
 9年間の「一貫教育」を受けることができる,と聞いて,「ぜひとも!」と願う子どもや親はどこにひかれるのだろうか。

 早稲田のように,大学までつながっているところは動機がはっきりしている。

 ただ,今までもあった小中連携校の場合,優秀な子どもが中学受験で抜けていき,

 「中学受験をしない子ども」と「中学受験に失敗した子ども」が連携先の中学校に進学していく,という歪みが見られていた。

 もちろん,義務教育学校でも中学受験で抜けていく子どもがいるかもしれない。

 もし義務教育学校の売りが,「教科の前倒し学習」になるとしたら,

 そこに通うこと自体が「中学受験対策」となる。ということは,「中学受験対策」で義務教育学校に子どもを入れるようになると,当然,「7年生」になるときに優秀な子どもがごそっと抜けていくことになる。

 定員を満たすために「途中で募集する」仕組みだと,そもそも9年一貫教育の意味がなくなってしまうから,

 存在意義が壊れる結果となるだろう。

 中学受験ができる環境にない地域では,こういう悩みはないかもしれない。

 「校長が1人ですむ」ようになると,人件費削減効果が大きいから,過疎地における義務教育学校の財政的な存在意義は高いのである。

 あとはどのような教育をするか,ということだが,すでに「子どもの成長にとってマイナスの要因がある」ことが報告されている。

 制度をいじったら,できるだけ厳しく成果なり課題をチェックする習慣を継続すべきである。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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