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« 義務教育学校の存在意義 | トップページ | 「ライバルを出し抜く」という経験ができない教育界 »

知識を獲得することが楽しい時期と思考することが楽しくなる時期

 教師から教えてもらうことが多い時期と,自分で調べたり考えたりして理解を深める時間が多い時期は,

 小中高とそれぞれ同じようなバランスでもつべきか,

 それとも子どもの能力を高めやすい異なるバランスがあるのか。

 実は,どちらが適しているかを子どもの実態から把握・判断しやすい学校が数は少ないが存在する。

 その学校のデータでは,

 小学校から中学校に進むに従って,教師から教えてもらうことが少なくなっていき,考える時間が多くなっていく子どもの方が,実力が伸びていることがわかっている。

 小学校で考えたり話し合ったり調べている時間が長い子どもは,その逆の経験をしていた子どもよりも,中学校での活動では成果が出しにくくなっている。

 もちろん中学校で新しく教えられる内容は小学校より多くなるが,その内容量の増加に追いついていけるのは,小学校時代にしっかり「教えられる」経験をもった子どもたちである。

 同じ小学校出身でも違いがあるのは,中学受験の塾に通っていたかどうかの違いであることもわかっている。

 中学受験で難関校突破をめざす塾に通う子どもを想定する必要はない。

 多くの子どもが利用する通信添削程度の分量でもかまわない。

 小学校の学習の内容量の少なさが,中1ギャップや「学力低下問題」の根底にある根本問題であることは明白である。

 内容の理解が小中高で「7・5・3」とか言われているのは,そもそも内容量が「3・5・7」程度の比率だからである。ちなみに小学校の「3」は6年間の合計程度である。客観的なデータがほしければ,教科書のページ数と文字数を数えてみればよい。

 義務教育学校が,教育内容の「前倒し」を検討するのはけっこうなことである。

 しかし,前にも書いたように,「中学受験に有利な学校」と認識されるのは避けなければならない。

 9年間を通して,しっかり教えて知識を増やしていくことに重点を置く時期を前半におき,後半にじっくり考えて思考を深めることに重点を置く時期をつける。

 現状ではこの逆になっている。

 子どもを見ればわかるこうした問題に着手できる機関がないのが残念である。

 現状の逆を行うことで,思考力重視の大学入試に向けて,同じ目標をもった学習ができる高校進学がスムーズになるだろう。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より