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1億総「評価者」時代

 インターネットの普及によって,このように意見や考えを公表しやすい世の中になった。

 と同時に,「攻撃対象」は集中砲火を浴びやすくなったわけである。

 熊本では地震が続いている。

 当初の報道を私もテレビで見ていたが,気になることがあった。

 同じ意見をもっていた人が,ネットにコメントを寄せていく。

 「解説がたどたどしい」

 「これがNHKの記者なのか」

 「被災者へのインタビューがひどい」

 手厳しい批判だが,私も同感だった。

 人間は,「自分が他人と同じ意見であること」に,程度の差こそあれ満足しやすい傾向がある。

 「多くの人と同じ考え」だと,安心する。

 集団による「いじめ」は,こうした「心のはたらき」を背景にして起きる場合も多い。

 「いじめ」を防ぐには,どちらかというと,マイナーである方の意見も聞いて,バランスを整えるような作業も大切であると思われる。

 記者のレポートを聞いていて,私は職業柄,「ああいう先生がいたな・・・」という何とも気まずい思いの方を禁じ得なかった。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より