ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« いじめ対策に使える統計資料はどこにある? | トップページ | 義務教育学校の存在意義 »

A,B,Cの評価をつける能力もつける気もない教師がいると困る

 観点別学習状況の評価には,三段階がある。

 「十分満足」のAと「おおむね満足」のBとそれに到らないCである。

 教師はできるだけ多くの児童生徒をCでなくBの状況にもっていくために指導を行う。

 『学び合い』で授業を行っても,「全員,Bでいいや」ということにはならない。

 「B」の子どものうち,「A」の段階に進めそうな課題を与えてあげることも「指導」の一つである。

 そもそも,四観点ですべて「B」だと,評定では「3」になってしまう。

 評定で「5」や「4」がつくためには,「十分満足」の観点が多いことが条件になる。

 『学び合い』の授業で,教師はどのような「十分満足」な状態をつくれるのだろうか。

 4人の班で,だれかがだれかに答えを教えてしまえば,みんな同じ評価になるのだろうか。

 そうではないはずである。

 教師のジレンマは,できるだけ妥当な評価を出すためには,それだけ学習状況がわかる活動をさせなければならない。しかし,活動が多い状況では,40人も教室にいると,一人一人の厳密な評価は出しにくいのである。

 算数や英語などでは,習熟度別の少人数学習集団をつくって指導する場合があるが,

 これが「上位」「中位」「下位」のそれぞれの子どもに最適な学習内容と方法を提供する手段として使われている実例である。

 「みんな同じでみんながいい」では,『学び合い』と同じ発想になってしまう。

 経歴を隠してブログに意見を書くのは致し方ないところもあろうが,

 批判をしようとしていながら,ミイラ取りがミイラになってはいけない。

 少なくとも,子どもの学力に合わせた指導を行った方が各自の実力が伸びるという場面はあり得るはずである。

 部活動などでなく,自分が受け持つクラスで「個に応じた指導」の経験がない人こそが,「ぐうたら」教師なのである。

 楽器の初心者と熟達者に教える技術は同一ではないはずだ。

 「一斉授業」の課題がどこにあるか,ここまで説明すれば言うまでもないだろう。

 もちろん,すべて「上位」「中位」「下位」ごとに学習を進めるべきだと言いたいわけではない。

 社会科などでは,「下位」の子どもの方がよい発想で自由な意見を述べてくれることがある。

 ただ,「下位」から抜け出せないのは,単なる思いつきを口にしているだけで,周囲を納得させられるような根拠が説明できないとか,説明がわかりやすくないとかいう課題がある生徒である。

 しかし,そういう生徒に説明させないようにすると,「下位」の子どもはもちろん,「中位」の子どもまでもが伸びなくなってしまう。

 「下位」の子どもはこうして他の生徒の「踏み台」になる場合もあるが,そういう経験をしながらも成長を続けていける力強い人間を学校は育成していくべきだろう。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 社会科教育へ
教育問題・教育論 ブログランキングへ

« いじめ対策に使える統計資料はどこにある? | トップページ | 義務教育学校の存在意義 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

教員の評価」カテゴリの記事

教員研修」カテゴリの記事

グローバル人材」カテゴリの記事

『学び合い』」カテゴリの記事

アクティブ・ラーニング」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« いじめ対策に使える統計資料はどこにある? | トップページ | 義務教育学校の存在意義 »

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より