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学校における「サイロ・エフェクト」

 アメリカでは,穀物を保存する貯蔵庫であるサイロから,ほかから隔絶して活動するシステムや組織が連想されるようだが,日本で言えば「たこつぼ」にあたるものになるだろう。

 ジリアン・テット著,土方奈美訳『サイロ・エフェクト~高度専門化社会の罠』は,文化人類学視点でビジネスを分析した本で,チャンスやリスクを見逃す集団と対応できる集団の違いがどこにあるのかを指摘している(読書編で紹介)。

 学校における「サイロ」を探してみると,小学校で代表的なのは「学級王国」という「サイロ」である。

 同じ学校・学年でも,サイロによってルールが異なる。

 休み時間に家から持ってきたお菓子を食べたり(担任が出張先で買ってきたお土産を子どもに配る場合もある),漫画を読んだりゲームをしたりするのがOKのクラスがあるかと思うと,「そんなことあり得ない」というクラスもある。

 全時間,「コの字型」でやっているクラスがあるかと思うと,一切行わないクラスもある。

 宿題が多いクラスがある一方,全く宿題がないクラスもある。

 作文に丁寧なコメントや添削が行われるクラスもあれば,判子だけのクラスもある。

 担任が子どもと一緒に掃除をしっかりしているクラスもあれば,掃除中に担任が職員室でおしゃべりをしているクラスもある。

 中学校に目を向けると,「学年」という「サイロ」がある。

 高校に目を向けると,「教科」という「サイロ」がある。

 学校単位で見ると,教員として異動してみればよくわかるが,学校自体が巨大な「サイロ」である。

 社会から見ると,教育界,学校全体が「サイロ」に見えるかもしれない。

 それらはすべて,「風通しの悪さ」が原因である。

 別に,すべて「他と同じ」にしなければならないというわけではない。

 しかし,小学校6年生の移動教室で,男の先生が女子生徒と一緒にお風呂に入ったり,男子が女子と同じ部屋で寝ていたりするのが,「これが私の学校のやり方です」ですまされるのかどうか。

 他の組織から,「そんなことはあり得ない」という批判があったときに,聞く耳をもっていない雰囲気を醸し出す集団は最悪である。

 境界を越えるというのは,全く次元の異なる高度な話になっていくかもしれないが,

 「(他からどう思われているかなどの)想像力のない最低の集団」から,「境界を越えることで創造力を発揮できる集団」に移行する努力を私たちは続けなければならない。

 「ダメ企業」の代表として,『サイロ・エフェクト』ではソニーが挙げられている。

 同じ機能を持つ互換性のない3種類の次世代ウォークマンが発売されるような企業では,ソフト・ハード・音楽コンテンツを包括的にまとめる能力が失われてしまうということである。

 「ソニーのようになってはならない」ことを意識した企業の例として,フェイスブックが挙げられているが,そのフェイスブックでさえ,「巨大なサイロ化」の危険性があると指摘されている。

 「サイロ化」には二つの側面があることを次の記事で論じたい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より