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子ども主体の部活動

 先日行われた野球の春季大会で,第1シード校を破り,地区優勝も見えてきた。

 おそらく他の学校ではあり得ないかもしれないが,打順や継投について,

 私が監督するチームでは,選手たちが話し合って決めている。

 2点差でリードして迎えた最終回,キャプテンがキャッチャーの意見を採り入れて,

 1アウトをとった後,リリーフを登板させることになった。

 リリーフ直後にヒットを打たれ,盗塁,フォアボールと,相手を一気に勢いづかせてしまった。

 最後は相手の走塁ミスに助けられて無得点のまま勝利できたのだが,

 この継投は私自身の選手・監督・野球観戦の長い経験から言ってもあり得ないものであった。

 私のチームでは,監督は我慢するのが仕事である。

 まだ人生の中でそれほどたくさんの試合をしてきたり見てきたりしたわけでもない選手たちに,
 
 采配を預けるなどあり得ないと考える指導者も多いだろう。

 私ももう少し若いときには,こんなことは許せなかったに違いない。

 しかし,もう長く一緒にいられない中学生たちが必死に考えながら戦っている姿を見て,

 「勝たせたい」という気持ちよりも「思うようにやらせたい」という気持ちが勝てるようになってきた。

 失敗を怖れて消極的になっているチームに,都大会で勝ち上がることなどできない。

 選手は,セオリー通りではないが,決して無謀な作戦を立てたわけではない。

 交代するピッチャーにあつい信頼を寄せているのである。

 私の学校の部活動では,練習を子どもが主体になって行っている。
 
 だから,主将などチームをまとめる中学生の肩には,他の学校よりも重たい責任が乗っかっている。

 こういうチームでは,監督ができる役割はそのときその場に出ている選手が最高のパフォーマンスを発揮できるように,試合を通じて鍛えていくことしかできない。

 今,子どもたちは次の試合の打順を必死に考えている。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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