「嫌いな人の不幸を喜ぶ」心は正常か?異常か?
自分たちが大嫌いな人間の悪口は,尾ひれをつけながら拡散されていく。
LINEなどのSNS上でかわされるこうした言葉は,直接本人が見ることを想定していない場合でも,心ある(が慎重派ではない)子どもが「こんなことを書かれているよ」と本人に知らせてしまい,「自殺」の原因になってしまうこともある。
自分と異なる意見をもっている者,自分が嫌いな者,自分のことを批判する者の「幸福」を願う人はあまりいないだろう。むしろ,「不幸」を願ってしまっている自分に気づくことはできるのではないか。
それは人間として「正常」なのか,「異常」なのか。
何をもって「正常」とみなすかの定義によるだろうが,
「望ましい」「望ましくない」よりは難しい定義になるだろう。
もし人間が,自分に対して殺意を持っている人に好意を抱き,何でも好きなようにさせてあげるという「心の広さ」をもっていたとしたら・・・・。
もちろん,その「心の広さ」が相手の殺意を消滅させるための唯一の手段だ,という主張もあるだろうが,
「自分の命を守るためなら,攻撃してくる相手をやむを得ず傷つけても罪には問われない」ことは正しいか,誤っているかと問われたら,前者を選ぶのが多数であるに違いない。
だれでもわかることは,「お前は狂っている」と言われて「幸福感」を得る人間はいない。
「お前は狂っている」という発言をする人間というのは,相手を「不幸にさせたい」人間である。
相手を「不幸にさせること」で,本人が喜んでいるかどうかはわからない。
わざわざ他人を「不幸にさせること」を書いていることだけは確かである。
その背景には,「自分が嫌な思いをした」ことがあるようだ。
そのことをだれもわかってくれないので,「周囲が狂っている」ことにしているだけかもしれない。
しかし,障害のある人を相手にそういう書き方をすることはよくない。
最も人権感覚が麻痺している人間は,学校の教師だと言われることがある。
道徳の教科化は,子どものためというよりも,教師をまともにするためだと言う人もいる。
言論の自由は何のためにあるのか。
「大人」の文章を「教育ブログ」では目にしたいものである。
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